いらっしゃいませ 遠山新也です。

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サイト管理人の遠山新也です。

【プロフィール】

神奈川県在住

卓球大好きな、4人子持ちの父

さそり座で、子育てが大好きで寂しがり屋のこじか

【僕の目から見た世界】

南の島で生まれ、生後6ヶ月で高熱とストマイで耳が全く聞こえなくなりました

物心がつく頃からこれまでに、たくさんあったこと

笑いあり、怒りあり、悲しいことあり

まさに、山あり、谷あり

まさに、僕の周りを走り回り続けている灯篭みたい

いろいろな人達の顔が灯篭の紙に写真のように貼られていて

眺めていると、

灯篭の回るスピードがだんだんと早くなり、

目に止まらいものすごいスピードで回り、

突然灯篭がパッと消え、

あたり真っ暗な世界に変わり、

しばらくして、はるか向こうに小さな光がぼっと出てきた

その光には、3人の指導者がいた

よく知っている人

僕が心底から尊敬している人

その人たちからその光がやってきた

小さかった光が少しずつ大きく眩しくなり、

白い皿のような光自身がまっすぐこちらに向かって飛んできた

その白い皿のような光は自分の膝の近くに来て、そのままブルブル震えながら光っている

その光で足元が見えた

そこには、小さな正方形をした白いタイルがたくさんきれいに

上下右左に無限に並んでいる

【ろう学校から高校まで】

ろう学校時代、成績が良いとすぐいじめられてばかり

特に女の子にはよくいじめられていた

小学校に転校編入しても、女の子たちからいじめられることが多かった

それでも、男の子達と遊びや野球部、卓球部、剣道部で毎日活動出来て楽しかった

中学校に入る頃まで、両親はほぼ毎日喧嘩

離婚しそうになった頃、僕が中学校参観に父に来て欲しいと頼んだ

それで、離婚を取りやめたそうだ

中学校の頃から学校の先生の話がわからず、毎日教科書と参考書のにらめっこ

授業や先生、クラスメートの話が全く分からないという毎日の不安との戦い

それでも、大好きな卓球で不安な気持ちを吹っ飛ばした

耳が聞こえないことで受験さえさせてくれなかった高校受験

父が先生をやっている関係で、父の友達の先生が責任を持つことで、

公立高校を受験でき、入学したら、みんな、温かい気持ちで迎えてくれた

中学以上に話が分からず、クラスメートとの会話もできず、筆談、ジェスチャーでやり取り

それでも、クラスメートたちは笑顔で接してくれた

先生と大喧嘩したこともあった

なかなか話が分からずそれでも黒板を見ながらすべてをノートに書きうつした僕

何とか伝えたいと思いつつなかなか伝わらないじれったさでストレスを抱えた先生たち

卒業式ではクラス代表になり、舞台に立ち、無言の挨拶で終わった

拍手パチパチ

【大学で実現しようとした夢】

将来はお金持ちになって世界中の人達と交流したい

仕事は大学先生か医者かのどちらかになりたい

大学を調べたら、当時は国立大学の80%以上は耳が聞こえないことを理由に受験は許可されていなかった

例えば、T大はすべての学部はダメ

TK大は試験に合格しても大学2年にはなれない、1年間で退学が条件

K大は大学から300メートル以内に大卒まで家族と一緒に住んでいることが条件

KS大などは許可されていなかった

私立はOKだったが、経済的に大変な家なので、どうしても国立大学でないと。

家では毎日のように両親が大喧嘩

父が暴れ、暴力を振る回った

だから家を離れたい気持ちでいっぱい

それで、受験できるのは、国立大学の20%未満なので、その中から関東の国立大学を選んで受験、入学

大学時代は毎日楽しかったが、交流に限度を感じた

会話が思うように分からないのだ

ニコニコ頷くのに精一杯

コミュニケーションを取りたいが、基本的な話が聞こえないので、

筆談や手話に頼らざるを得ない

寂しい大学生活となった

【社会人になってみたら】

卒業間近に活動した就職活動は、内定しても耳が聞こえないとわかると取り消されたことも多かった

卒業間近になるまで200社以上断られた

面接ではなく書類を出しても、耳が聞こえないことで落選

試しに、耳が聞こえないことを書かないで書類を送ったら、試験を受けられた

1,2次試験に合格したあと、面接の時、耳が聞こえないことを話したら、びっくりされた表情

その後、断られた

やっと決まった会社1つだけ

卒業1か月前だった

感謝

最初は希望の翻訳の仕事の予定だったが、入社の2週間前にコンピュータ関連の仕事に配属された

大学時代、コンピュータをやったことがなかったので、入社してから、毎日怒られてばかり

英文のコンピュータ専門書を翻訳をしたが、生活用語しか書けず、更に怒られた

時間をかけて、やっとまともなプログラムを作れるようになった

だが、会議に出ても、話の内容がわからず、苦痛の時間が長く続いた

それでも、お話をしたり聴いたりしたい気持ちは衰えなかった

笑い声が聞こえたりするたびに、何?と聞くと、ほとんど箇条書きの感じで伝えられた

流れが良くわからなかった

この繰り返しで20年続き、つい、会社に行けなくなった

【会社に行けなくなった後は・・・】

5月のある朝、いつもの時間に、家の前のバス乗り場でバスを待っていた

バスがやってきた

ドアが開かれた

一番前だったので、乗ろうとしたら、足が動かなかった

びっくりした

風邪をひいていないし、体調も悪くなかったのに、何故???

なかなか動かなかったので、後ろに並んでいた数人のお客様を先に譲った

僕はバスから離れた

バスが走り去ったのを見届けると、家に帰った

いくつかの心療内科に行ってみたが、問題なしと言われた

ニコニコしていたからかも

だが、ある心療内科に行ったら、すぐうつ病だと言われた

コミュニケーション障害、といううつ病だった

病気による休職となった

時々仕事をしなければならないことが会社から相談されたときは、会社に行った

それが、昼間ではなく、誰もいない時間、真夜中の1時ころに会社に行った

そこで、朝の4時ころまで仕事してから、警備員以外の誰とも会わずに帰った

その時はいつもホッとしていた

その頃から、会社を離れていろいろな世界に飛び出してみたいと思うようになった

小さい時からの夢

自分らしさ

何をしたかったのか

などを探しまわっていた

そして、残りの人生に自分をかけてみようと、思い切って退職した

ネットワークマーケティングとの出会い】

会社にいる間に、職場の後輩からネットワークマーケティング(ネットワークビジネス)が伝わった。

漫画本も渡された

ネットワークマーケティングの概念を漫画風に解説された本だった

それが、ネットワークマーケティングとの初めての出会い

その本を読んだところ、

「人が成功するように育てて、その人が成功して初めて、自分も成功できる」

という言葉が載っていた

ぴーんとしびれた

あ、これなら、みんなも僕も一緒に喜べる

一緒に幸せを分かち合える

一緒に楽しくやれる

それができるなら、やりたい

かっこいい仕事に思えてきた

刺々しい世界からホッとする世界に変われると。

始めてみたら、人に伝えようとしてたくさん失敗した

伝えたときは楽しかったが、意図が伝わらなかった

友達、知人からから縁を切られたこともあった

耳が聞こえないため、コミュニケーションに苦労した

それで、なにか良い方法はないかとインターネットで検索したら

インターネットでネットワークマーケティングができる

という記事が載っていた

やってみたら、自分のことがわかるようになった

自分の思いを気持ちを周りの視線など気にせずに伝えられると感じた

みんながお互いに幸せになれる

自分のやりたいことを実現できる

と確信できた

インターネットで自分の思いを共感出来る人達と会え

一緒にお互いに助け合い、励ましあい、競争しあい

そしてみんな自分の思う通りの人生を作れるようになってきた

ひきこもりだった人がもっこり人生に!

ビクビクしていた人が堂々とした人生に!

自分の必要なお金が入り続ける人生に!

理想のパートナーといっしょの人生に!

子供が行きたい学校、留学など教育環境を作れた人生に!

自分の親を思うままに介護できた人生に!

など出来て、まさに、成幸できたという話が続々やってきた

それらを見ると、本当に自分は耳が聞こえなくても

世の中の人たちが幸せになるためのことができた、

ととても嬉しかった

耳が聞こえないために色々な苦しみ、悲しみなどが

あとあとの世の中のいろいろな人達の幸せをつかむのを手伝う

力に変わっていた

ということは、苦しみ悲しみなど味わっているのは

幸せになるためのスタートに過ぎないと感じた